人間臭さがそこにある!ランドクルーザーの持つ魅力

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トヨタというと、乗用車のメーカーとして知られていることは間違いありません。
オフロードということで考えれば、日本では三菱やスズキのジムニーのほうが知名度が高かったりもします。
ですが、海外の中でも中東に出れば、乗用車などよりもランドクルーザーのほうが知名度が高かったりもするのです。
それだけ、完成度の高いSUVとして、存在感があります。

砂漠のセルシオとまで呼ばれる素晴らしさ

今のようにSUVなどと呼ばれる以前、ランドクルーザーはRV車として呼ばれていました。
そんなランドクルーザーは、2014年に期間限定で再販売されたのです。
国内でも、驚くほどの注文を受けますが、それ以上に海外での人気の高さを再確認することになるのは皮肉な結果でしょう。
驚くほど人気があるランドクルーザーですが、燃費を見ればかなり悪い部類に入ります。
排気量も大きく、場所もとることは確かです。
維持費はかなりのもので、とても今の時代にマッチする要素がありません。
ですが、魅力的なのです。

今の車は、燃費を重視したり、機能性だけを考えて作られる傾向があります。
ところがランドクルーザーには、そうした部分は希薄な代わりに、人間臭さが残っているのです。
大概の道は走破することができ、よっぽどの無茶でもしなければ故障もほとんどしません。
荷物もたくさん積むことでき、視点が高く見晴らしがいいのです。
絶対的な信頼性と本来車が持っていた楽しさが詰まっているからこそ、今でも高い人気があるといっていいでしょう。

その証明として、中東ではランドクルーザー80は、砂漠のセルシオとまで称されました。
快適性は高級セダンにも負けず、走破性能は群を抜きます。
大きなトラブルもなく使っていける信頼感は、他の車にはありません。

石油産出国では、ベンツですら乗り捨てられているような時代がありました。
それほど車は高い価値のものではなく、故障どころかガス欠でもいらないとされてしまうことがあったほどです。
そんな時代でも、ランドクルーザーは別格の扱いを受けることになります。
値段だけでは測れない信頼感があったといえるでしょう。

それぞれの楽しさがある

ランドクルーザーといっても40系の系譜である70系と60系の系譜である80系や100系、200系はまた違った魅力があります。
人間臭さということでは、やはり70系は絶対的な存在感があるといえるでしょう。
だからといって、100系や200系も素晴らしい魅力を持っています。

その時代にあった車が生まれる反面、時代を逆行する車も生まれてくるものです。
そんな楽しさを、ランドクルーザーなら実感することができるといえるでしょう。

北米市場の対する戦略から始まったスープラとセリカXX

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1970年代後半。
トヨタは海外戦略に力を入れられるほどに成長して行きます。
ヨーロッパ市場を見据え、WRCで勝利することを考えるようになり、並行して北米市場を手に入れるための戦略に着手するのです。
そんな中で生まれてきたのが、スープラでした。

速いだけじゃなかったスープラ

1978年から北米市場で販売されるようになったスープラは、日本には1986年から投入されます。
時代を重ね、2002年の4代目で生産を終了しました。

当時の日本車としては、初めての6速MTを搭載していました。
スポーツカーとして魅力的であり、多くの若者がこのスープラを好んだのです。

非常に走行性能を重視した車であり、スープラ RZは、最高出力が280psに設定されていました。
3.0L直列6気筒DOHC24バルブICツインターボエンジンは、トヨタ最高峰のスポーツエンジンでもあり、大きな車体をガンガン引っ張っていったのです。

このころになると、安全性能にも大きな力が入るようになり、運転席、助手席エアバッグは当然として、ABS、衝突安全ボディーが投入されるようになります。
車重を増やすことにつながりますが、それでも多くの装備が追加されました。

独創的で個性的なデザインのもとはセリカ

最近の日本車は、デザインとして個性を失いつつあるといわれますが、スープラあたりまではかなり個性がはっきりしていました。
なかなか見かけることのないデザインでもあり、内装も独特の雰囲気を持っていたのです。
なぜ、こんな個性的な車になったのかといえば、元をただすとスペシャリティーカーの先駆者であったセリカの派生モデルからスタートしたということが大きかったでしょう。

セリカには、上位車種としてXXがありました。
さらなる廃ソサエティモデルとして開発されましたが、このXXを北米でスープラとして販売したのがスタートだったのです。
このXXは、だんだんとスペシャリティーカーとしてのカラーを捨て、スポーツ路線に変化して行きます。
ソアラさえしのぐ性能を持ち始め、3代目でセリカから独立するのです。
ソアラのプラットフォームを使い、エアロも搭載することで、こうした独創的なモデルへと変化して行きます。
最終的な4代目は、実に9年間近く販売されていく大ヒットモデルとなるのです。

しかし、時代はスポーツカーを求めなくなり、ミニバン全盛へと変化して行きます。
スープラも、高級すぎるスポーツカーとして、残念なことに廃止となって行くのです。

スポーティーなイメージが強く出ていたカリーナ

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トヨタは、姉妹車を作り出し、それぞれにコンセプトを与えていきました。
特にカローラとスプリンターが有名ですが、もっとはっきりと分かれたのがコロナとカリーナです。
カローラよりも高級で、コロナのように保守的ではなくスポーツ的なイメージを与えました。

セリカの姉妹車からコロナの姉妹車へ

セリカの姉妹車として生まれたカリーナは。セリカのようなスペシャリティーカーではなく、ファミリーカーとして設定されています。
ですが、どこかヨーロッパの雰囲気になっており、全く性格が異なる車として仕上げられたのです。
プラットフォームは同じでも、ここまで異なる正確になるのはかなり珍しいケースでしょう。
そのため、数多くの設計が行われ、検討されていくことになるのです。
やがて4代目でコロナと姉妹車になって行き、今でもアリオンとプレミオの関係として残っています。
それでも、スポーティーな部分は失われることはなく、ファミリー設定ではあるものの、ターゲットはもっと若い世代となって行くのです。

最後に復活したスポーティーなモデル

5代目となると、スポーティーな感じも薄れていきます。
全車FF設定となり、コロナとターゲットの年代を分けるような設定に変わって行くのです。
その背景には、FFの高性能化ということがありましたが、内装なども十分高級感を与え、居住性の高い車となって行きます。
この時代の流行でもあった丸形のボディになり、おとなしい風貌になったのも大きな違いでしょう。

それでも、この5代目のGリミテッドには、4A-GEエンジンが採用されており、140psまで発揮することができたのです。
FFとしては十分な性能であり、見た目以上に機動性を持った車だったといえるでしょう。
この時に、さらなる姉妹としてカルディナが生まれます。
カリーナとセリカの中間的な立場でもあり、カルディナは最終的にセリカGT-Fourの姉妹のような性能を持たされる驚くべき車になって行くのです。

7代目となると、国内専売となり、GTを復活させます。
すでにスポーツカーのラインナップが姿を消していく中で生き残りを模索した形になったともいえるでしょう。
それでも5速MTを採用し、4A-GEの165psは快適なレベルでした。
豪華な装備も特徴でしたが、売り上げは伸びなくなり、アリオンに継がれる形でカリーナは廃止になってしまうのです。

X100型をはじめとする異常な設計によるマークIIの姿

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トヨタにとってマークIIという車は特別な存在でした。
1980年代の象徴的な存在であり、クラウンとコロナの間を埋めるために生まれた重要なポジションを担っていたのです。
そのマークIIも現在では10代目になった時点でマークXとなってしまいました。

保守という言葉と無縁の存在でもあったマークII

マークIIにはさまざまな逸話がありますが、とにかく豪華な内装と強引なまでのエンジンの組み合わせがポイントでした。
MR2のように、ドライバーの技量が必要な車もあれば、高級セダンもあった時代です。
夢のあるような車が多かった時期ですが、マークIIの中でも通算8代目、マークIIとなってから4代目のX100系はとにかく斬新であり、保守といった言葉とは全く無縁の存在となります。
それまでのトヨタのイメージを一発でひっくり返し、あり得ない組み合わせをしてくるのです。

高級セダンという枠を超えたハイパワー

マークIIは、高級セダンといってもいい車でした。
その車に、こともあろうことか、スープラにも使うようなビッグパワーエンジンを搭載していた時期があります。
2代目から始まる1JZ-GTE型ツインターボ、4代目に搭載される1JZ-GTE型 2.5L 直6 ターボです。

普通に考えれば、こんなエンジンはいりません。
280psを発揮するエンジンを搭載する車ではなかったからです。
ところが、そんな車が非常に好まれました。

直線では、驚くほどの速度を出し、コーナリングはふわふわという、あり得ない組み合わせでした。
当然のことですが、走りに特化したスポーツカーではなく、エンジンがスポーツカー以上だったからです。
それも4速ATですので、最高速までの時間は劣ります。
だからこそ、MT5速に換装する車なども出てくるのです。
もちろん足回りも強化しなければいけませんでしたが、それも楽しみだった時代で、大好評となりました。

現在では、なかなか手に入らない車になってきましたが、それでもドリフト仕様車として海外でも中古車が取引されています。
ただし、故障してもほとんどパーツがなくなっていますので、交換することさえ難しい状態です。
特に外装パーツは数が少なく、ウインカーレンズ一つでも手に入りにくく直せないこともありますが、それでも人気の車といえるでしょう。

ヨーロッパで特に人気の高いヴィッツとヤリス

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トヨタは、多くのコンパクトカーを作ってきました。
大衆的であり、利用価値が高い街乗り車であったということも大きかったでしょう。
その中で人気の車種がヴィッツです。

小さくても重要な性能はすべて持つヴィッツ

コンパクトなサイズの車といえば、まず軽快な操作性がなければいけません。
そのうえで、維持費が安く、5人乗っても大丈夫ということが条件となってくるでしょう。
女性にも人気のボディラインであるということも重要です。
ヴィッツは、そんな要望から生まれた車でした。

小さいボディは、視界性能を良好なものへと引き上げます。
切り返しも少なくて、細い道でもあまり気にせず走ることができるでしょう。
日本の駐車場のように狭い空間でもおさめることができるのですから、車の運転があまり得意ではない女性でも、ヴィッツは十分に楽しむことができるサイズになっているのです。

小さく軽量なので、燃費も優れています。
もちろん、強烈な加速感を得たりすることはできませんが、街乗りでは十分でしょう。
ハイブリッドカーほどではないものの、リッター20km近い燃費は、生活に対する負担を増やしません。
こうした理由があるからこそ、ハイブリッドカーではないヴィッツも人気が高いのです。

ヤリスとして海外で高い評価を受けるヴィッツ

スターレットの後継者として作られたヴィッツは、海外でも評価の高い車といえます。
日本では、こうしたBセグメントクラスの車が多く、デミオやマーチとともに評価がわかれますが、海外では爆発的に売れていくのです。
日本の小型車を変えた存在として評価されています。

自動車メーカーとしてはよくあることですが、日本での販売ラインナップと、海外のラインナップの差もあるのです。
ヨーロッパではヤリスという名前で販売されていますが、ハイブリッド仕様まであります。
ボディ形状も5ドアのほかに3ドアがあり、ヒルスタートアシストまでついているのです。

このヒルスタートアシストは、乗用車ではあまり見かけることがありませんが、坂道発進を補助するための機構です。
停止時のブレーキ圧を記憶し、坂道でブレーキを離しても後退してしまうことを防げます。
楽に発進するための装置で、トラックによく搭載されますが、こういった装置までヨーロッパ仕様にあるのは、マニュアルトランスミッションが基本だったりするからなのです。
それだけスポーツ的にも楽しめる車として認識されているということがあります。
この辺りも、日本の認識とは異なるポイントといえるでしょう。

東日本大震災の中で東北復興のために残されたアクア

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トヨタの量産型ハイブリッドカーとして、専用設計で生まれたのがアクアです。
5ナンバーサイズのコンパクトなボディに、世界トップクラスの燃費性能のハイブリッドシステムを投入した車であり、幅広い支持層を持っています。
華々しい発表の裏に、数奇な運命を持った車でもあり、単に燃費がいいだけの車ではないのです。

アクアの誕生と東日本大震災

アクアが誕生した経緯には、プリウスは燃費もいいけど大きすぎるという問題がありました。
システム的な問題もあり、ボディを小さくすることが難しかったため、それなりに大きなボディを持つ車となったのです。
これが燃費を悪化させていることもまた事実ですが、扱いにくい部分でもありました。
そこで、小型化ができないかという研究は、もちろん開発当初から試みられていたのです。

アクアが発表された当時、敵もいなかったということが挙げられます。
ホンダも開発を進めていましたが、コンセプトが異なる存在で、アプローチも違っており、そこまで小型化もできませんでした。
それが、フィットの誕生とともに、軽量小型ということに注目が集まり、アクアも誕生していくことになるのです。

ところが、ここで大きな問題が起きます。
日本を大きく揺らすことになる東日本大震災です。
アクアに関しては、当時の関東自動車工業が行うことになっていましたが、主力工場は東北にありました。
震災により大打撃を受ける中、他の工場への移管も検討されますが、震災復興という社会的意義も込め、関東自動車工業ですべてを生産することとなるのです。
もちろん、工場は稼働できる状態などではなく、納期は遅れていきます。
それでも、トヨタは国内生による需要を東北にもたらすため、アクアを作り続けていくのです。
アクアの優れた性能とともに、大ヒット車になって行きます。

アクアのとびぬけた性能

アクアの燃費を考えてみると、当時のプリウスが30km/L程度だったことに比べ、37.0km/Lを計測しています。
もちろん、実際の運用ということで考えると、ここまでの燃費にはならないにせよ、驚くほど優れていたことがわかるでしょう。
グレードも一番低いタイプで、よほどの運転をしなければここまでの燃費は出ませんが、ライバルのフィットが36.4km/Lだったことも考えれば、いかに素晴らしいかわかるはずです。

走行性能に関しても、できるだけ重心を下げられるようになり、トヨタ独自の空気抵抗を下げた設計とともに素晴らしい力を発揮します。
その分だけ、狭いというデメリットはありますが、小型でコンパクト、さらに素晴らしい燃費性能ということと、トヨタの内装を併せ持つのですから、大きなマイナスにはならなかったのです。

燃費を追求し時代を引っ張っていくことになるプリウス

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車という存在は、燃料を使って走る内燃機関を持っています。
ガソリンや軽油を燃やして走りますが、どうしても効率がよくありません。
そこで、できるだけ効率よく変換するため、燃費というところが重要な要素になるでしょう。
そんな燃費に対する提言として生まれてきたプリウスは、どんどんと新たなステージに上り詰めてきている車なのです。

燃費を追求したハイブリッドカー

ハイブリッドカーというと、内燃機関とモーターの組み合わせで走る車を指します。
何も燃費がいいということではなく、内燃機関とモーターの得意なところをうまく組み合わせることが成り立っているのです。
その結果の一つが低燃費であったということになるでしょう。

逆にハイパワーを求めていくのであれば、スーパーGTなどで活躍したホンダのCR-Zやトヨタのプリウスが存在します。
ル・マンで圧倒的な速さを見せたりする、アウディもハイブリッドです。

そんなハイブリッドカーの中で、初めて量産型として成功したのが1997年に誕生したプリウスでした。
まだ試験的な部分も多かったものの、内燃機関の苦手とする出だしをモーターが肩代わりすることによって、大幅に燃費を改善します。
ですが、時代はまだそこまで燃費を気にするわけではなく、2代目になって初めて花開くことになるのです。

異次元ともいえる40kmへの突入

2003年に2代目となりボディ形状がスタイリッシュになったことで、大きな人気になって行きます。
さらに、燃料代の高騰などが重なり、燃費ということが大きな話題になって行ったことも大きかったでしょう。
10.15モードとはいえ、リッター35.5kmという異次元の燃費を打ち出していくことは、あまりにも大きな影響を与えます。
システムとしての完成度も高まり、快適なハイブリッドカーとして浸透して行くのです。

3代目が2009年に発表されますが、2011年に東日本大震災が発生します。
車づくりにも大きな影響を与え、燃料も手に入りにくくなる中、プリウスのような低燃費は大きな話題となって行くのです。
さらに、アクアの発表もあり、プリウスの人気はさらに火がつくことになります。

4代目が2015年に発表されますが、燃費はとうとう40.8km/Lにまで延び、異次元といってもいい領域に入って行くのです。
すでに浸透したネームバリューもありましたが、今度は走りまで追求した意欲作となり、4WDでも34.0km/Lという燃費を実現します。
レベルの違う車として、さらに羽ばたいていったのです。

家庭でも仕事でも活躍し続けているハイエースの秘密

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トヨタの車の中で絶対に外すことができないのがハイエースでしょう。
メリットとデメリットがはっきりしている車ですが、車を購入するうえで大きな選択肢になるからです。
さまざまな車に影響を与え、これ以上のない評価も受けた名車であることからも、知らなければいけない車ともいえるでしょう。

大きなスペースがあるからこそ

ハイエースという車の魅力は、乗車定員とスペースの大きさにあります。
とにかく大きなスペースが魅力で、大きなタイプになれば、定員は10名にまで拡大します。
よくあることですが、こうした車は装備がとってつけたようなものがあるでしょう。
ハイエースはそんなことはありません。
ハイグレードな装備が取り付けられており、快適に過ごすことができるようになっているのです。
それも、後方3列シートは、フルフラットになるものもありますし、ウォークスルー装備のものまであるのですから、かなり高級な装備になっています。

実際に古いハイエースを見てみると、非常に高額で取引されていることがあるでしょう。
なぜかといえば、古い車であっても、オーディオからカーナビまでフルセットと呼べるほど充実していたりもするからです。
車のオプションの充実度といえば、ハイエースといえるほど、多くの装備が取り付けられている車だといえるでしょう。

何でもできるハイエース

ハイエースのすごさは、何も定員数だけではありません。
もともと、家族向けに考えられたワゴンと商業用のバンがあることも重要です。
広大といえるほど大きなスペースを持っているため、どんな使い方にも対応させることができます。

たとえば、工事に使うとすれば、さまざまな道具を収納しておくことが可能で、移動できる倉庫のような使い方が可能です。
中には、発電機などを収納し、マフラーを窓から出せるように改造しているなどという方法もあります。
こうなると、本来ならトラックで移動して行かなければいけないところでも、1代ですべてをすますことができるようになるのです。

もちろん、広大なスペースを利用して、キャンピングカーのベースにする方法もあるでしょう。
大きなスペースは、人間が横になる分は簡単にとることができます。
快適な装備を追加させてあげれば、キャンピングカーも簡単です。
もちろん、さまざまな改造を施すこともできますが、ロングボディやハイルーフといったボディも用意されているからこそ、こうした発想にもつながります。

10年落ち程度の車でも、かなり高額で取引されることは珍しくありません。
それだけの価値があるからこそ、ハイエースは長く第一線で販売され続けている車なのです。

トヨタのヨーロッパ戦略の根幹たるセリカの栄光と消滅

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トヨタにとって、ヨーロッパの販売網は重要な意味があります。
日本から見ると、車の販売も北米が中心のように見えますが、自動車メーカー各社欲しがっているのはヨーロッパの市場なのです。
その市場を確保するため、宣伝効果が高いWRCに自社の車を投入して行きます。
特に勝利を収めることで得られる効果は驚くほどで、F1とは比になりません。
だからこそ、トヨタはWRCを制覇することが悲願でもあり、セリカにかける期待は大きなものだったのです。

ヨーロッパ市場とWRC制覇

天井のというスペイン語の意味を持たせたセリカは、1970年に生まれます。
日本初の量産型スペシャリティカーでした。
ずんぐりむっくりの形状であり、ダルマセリカと今でも呼ばれています。

2代目となり、ターゲットはさらに拡大。
ライバルである日産フェアレディZに対抗するべく、XXも生まれます。
のちにスープラとして独立して行きますが、大型化させる流れとは別にスペシャリティカーとして地位を築いていくのです。
特にこのころのスカイラインは、GTカーでありながらSOHCエンジンしか使うことができませんでした。
日産が排ガス規制の対応に遅れ、名ばかりの存在になる中、セリカはDOHCエンジンを積み差別化を図っていくのです。

転機になって行くのは、3代目A60系からです。
WRCはグループB時代となり、高性能車が必要になってきました。
そこで、専用チューンを施し、370psを発揮するTA64型を制作します。
サファリラリーでは3連覇するものの、ヨーロッパラウンドでは勝てずにXXに道を譲っていくことになるのです。

WRCがグループAの時代となり、4WDが当たり前となって行くと、スープラは形だけの大きな車で全くかなわなくなります。
そこで、コンパクトながら4WDモデルを作ることができたST165にスイッチするのです。
これが大成功をおさめ、ST185でコンストラクターズタイトルも手にすることになります。
ヨーロッパでの販売成績も好調となり、戦略的成功を収めることになるのです。

栄光と消滅

栄光は長くは続きません。
ST205を投入しますが、レギュレーション違反を起こしWRCの出場を停止されてしまいます。
それでも、セリカを使うプライベーターは多く、活躍を見せていきますが、日本の不況やレギュレーション変更もあってWRCからセリカは姿を消すこととなるのです。

結果としてセリカは日本市場からも姿を消します。
スペシャリティカーの需要はミニバンにとってかわられ、売れる車ではなくなってしまうのです。
2006年に最後を迎えることになったセリカですが、復活するという可能性もささやかれます。
それだけ、トヨタの歴史を支えてきた名車であり、今でもヨーロッパ市場に影響力が強い車種であるといえるでしょう。

乗り手を選ぶトヨタらしからぬ設計思想から生まれたMR2

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トヨタには、名車といわれたり迷車と称されたりする車も少なくありません。
しかし、それは乗り手を選ぶからこそ、名車と呼ばれなかったりするからです。
高い性能を与えられたり、独自のコンセプトだったりしたことで。80点主義ではなく乗り手を選ぶからこそおもしろかったりすることもあるでしょう。
そんな車の代名詞となって行くのが、MR2です。

高い挙動性能と市販車としての問題

大衆車や高級車メーカーとして知られているようになっていたトヨタは、生真面目な車を作るともいわれていました。
その反面で、WRCなどにも積極的に参戦するなど、ヨーロッパでのイメージ戦略なども並行して行っていたのです。
それでも、思い切った冒険はしないと考えられていましたが、エンジンを車の中央に近い位置に据え、後輪駆動にするという思い切った形で設計を進めていくことになるのがMR2でした。

1984年、初めてデビューすることになるMR2は、エンジンとして成功していた4A-Gを車のセンターに搭載するという突拍子もない発想からスタートします。
車の挙動ということを考えれば、理想となるのは、真ん中で低く置くということです。
何せ人間に次いで重いパーツはエンジンですから、これが真ん中にくれば運動性能は高まります。
ですが、人間が乗る場所がなくなることから、2シーターにしかできません。
海外のスーパーカーではミッドシップレイアウトは採用することがありましたが、騒音とエンジンの温度に悩まされていました。
それでも、トヨタは開発をスタートし、コンセプトカーを発表、販売にこぎつけることとなるのです。

ミッドシップレイアウトにすることで、挙動は確かに改善されました。
ところが市販車として致命的な室内空間が確保できません。
簡単に言えば、バッグ一つ置く場所がないのです。
そこで、スペアタイヤの中心部やら、シートの後ろのほんの小さなスペースまで活用し、荷物を置くようにして行きます。
気軽に乗ることができそうでできない、特異的な車が出来上がっていくのです。

乗り手を選ぶ設計

2代目となり、あまりに完成された設計となったMR2は、10年間販売されることになります。
セリカのエンジンを搭載し、足回りなども共用化することで、これ以上ない完成形を見たといっていいでしょう。

ただし、挙動が優れていても、それは運転技術も伴って要求されるレベルであり、乗り手はだれでもよかったわけではありません。
あくまでも乗り手がミッドシップレイアウトのMR2であることを理解して初めて成功することとなる車であったということなのです。

MR-Sとして生まれ変わることになりますが、それでもMR2は特別な存在として今でも語り継がれています。